指導指針 ② パスの意味

【サッカーは子どもを大人にする】

なぜ、サッカーは子どもを大人にするのか。それは、サッカーが《一番自由なスポーツ》だからだと思います。

サッカーが持つ「自由さ」の中で
「今、自分がどう行動すべきかを自身で感じ、見つけ、選び、勇気を持って実行する」
というプロセスを、子ども自身が仲間と共に学んでいくのだと思います。

・人を惹きつける、魅力ある大人に
・弱者に寄り添える、優しい大人に
・自分だけの意見を持つ、唯一無二の大人に
・社会の閉塞感を突き破る、勇気ある大人に

彼らは、これから魅力的な大人になっていく。いや、そうなっていかなければいけません。
「スエルテでサッカーをしていたこと」が、ほんの少しでも、その原動力になっていければいいな。そんな想いを、われわれコーチ陣は抱いています。

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【サッカーの本質って、何だろう】

世界中の指導者達が、昔からその答えをずっと探しています。でも、見つけられないでいる。おそらく、そこに普遍的な正解はないのでしょう。
しかし正解はないにしても、それぞれの指導者が各々信じる「本質」は、持っていなければいけないと思います。本質を選手達に伝えるのも、指導者の役目です。

では、僕が信じるサッカーの本質とは何でしょうか。
「《サッカーは味方の中でやるもの》ということを理解し、プレーで表現する」
これが今、自分が辿り着いたスタンスです。そして選手達にも、そう伝えています。


【味方の中でやる、とは】

技術、判断、タイミング…といった「スキル」の面
繋がり、連帯、友情、勇気…といった「心」の面
この両方です。

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【サッカーは味方の中でやるもの 〜 スキル編】

ボールを受けた時の次の目的は、味方にパスをすること。もちろんそのまま自分でシュートまでいければいいですが、それは少し置いておいて、まずはパスが必要になってくる。

ただのパスではなく、少しでも良いパスを出したい。
では良いパスとはどういうものかといえば、パスを受けた味方が、その時点で少しでもアドバンテージ(相手よりも良い状態)を持てるようなパス。パスをするのはその状態を創り出すため、といってもいいと思います。

なので、強すぎるパスは良くない。強すぎれば、少しでもコースがズレたら味方は対応できません。そして強いパスには、相手は最初から食いついてこない。
「あんなの取れねぇ、待っとこ」って。
少しズレたとしても味方が対応できるような緩いパスだからこそ、相手が食いつきます。「あ、奪えそうだな」って。

そうやって相手を誘い、動かし、食いつかせ、でも「すれすれで奪われない」絶妙なタイミングと緩さのパスを通せば、それは相手を「剥がした」ことになる。そのパスを受けた味方は、その時点でアドバンテージを持った状態になれます。

「パスは蹴るものじゃなく、渡すもの」
僕がいつも、口を酸っぱくして伝えていることです。

相手を剥がせるタイミングと程良い強さのパス。蹴る、というより「渡す」イメージ。こんなパスを、今そこしかない瞬間に通せる技術と判断力を標準装備させる必要があります。
そのためには、質の高いボールタッチやドリブルが絶対に必要になってくる。
「パスを出したいその瞬間に、相手より先にボールを触れる場所に自分の体を置けている」ことが重要ですから。さらに「あ、やっぱ無理だ」と思った時にそのパス出しをパッとやめられるように、やはり相手よりも先に触れる場所にボールがなくちゃいけない。

味方を少しでも良い状態にさせてあげるようなパスを出すために、ボールタッチやドリブルの質を、相手からのプレッシャーがあるミニゲームの中で伝えていく。足のどこで触るか、体はどう動かすか、ボールとの一体感、目はどこを向き、何が観えていればいいのか… うちがボールタッチやドリブルそしてミニゲームを重要視するのは、そのためです。

また
味方を少しでも良い状態にさせたいのならば、そこに出す、あいつに出す、ということを相手にバラしちゃいけない。だからパスを渡したい方向や、渡したい味方を見ないで出したい。見てないようで、観ておく。この駆け引きも必要になってきます。
え、いつ見てたの?って相手を驚かせ、その分だけ相手を遅らせることができれば、そこでまた味方がアドバンテージを持てることになります。全ては次にパスを受ける味方のため。

サッカーは味方の中でやるもの
スキル面では、そういうことに繋がります。

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【自分で気づき、見つけることの重要性】

ドリブルを練習するのは良いパスを出すためだよ、とは低学年の子達には言いませんが、高学年になってくれば、その意味は言わなくても自ずと感じてくれるようになってくるものです。

パスかドリブルかを自分で選べるようになってきた時、さらにドリブルの威力も増してくる。パスの重要性と有効性を知っているからこそ、それを相手に匂わせ「いつでもパス出しちゃうかんね」という駆け引きのある持ち方をすることで、相手は自分に寄せてこれなくなってくる。だから尚更ドリブルが活きる。メッシやネイマールは、その典型です。

僕は練習中でメッシとネイマールを盛んに例に出すのですが、この2人は、世界の中で断トツに「サッカーは味方の中でやるもの」ということを理解し表現している選手ではないでしょうか。

ボールを持ちすぎると危ないから早くパス出せ!そこは持つところじゃないだろ!と大人がミスリードして試合でも低学年からいろいろ強制してるチームをよく見かけますが、そこは強制ではなく、子ども自身が気づき、見つけるというプロセスでなければいけない。

奪われるから学ぶし、奪われるからまた練習する。
自分の力で気づき、見つけて身につけたものは、一生忘れない。そこは絶対に大事にしなければいけない肝だとも、思っています。

メッシとネイマールが、子どもの頃に「ドリブルするな!」って指導を受けていたか。絶対に受けてないでしょう。
でも彼らは今、世界最高のドリブラーであると同時に、世界最高のパサーでもあるのです。
ここに、一つの答えが隠されているのではないでしょうか。

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【サッカーは味方の中でやるもの 〜 心、編】

繋がり、連帯、友情、勇気…といった「心」の面。これはもう、言うまでもないでしょう。

サッカーが持つ「自由さ」の中で、味方の良さを生かし、味方の苦境を救い、味方のミスをカバーする。
それはサッカーに限らず、生き方そのもの。味方の存在を意識し、尊重しながらプレーすることで、人生を学べる。

味方のことを考えられない、自分さえ良ければいい、弱い立場の子を強い口調で責める

例え技術が上手くても、そんなやつはフットボーラーとしては認められません。仲間じゃない。自分より弱い立場に寄り添える優しさを持つこと。味方(仲間)の存在こそが自分の存在意義なのだと、頭では理解できなくても、言葉では説明できなくても、心で感じられること。いざとなったら、味方(仲間)を守らなくちゃいけない。その勇気が持てるかどうか。

サッカーは味方の中でやるもの
心の面は、そういうことですね。

しかしここでわれわれ指導者が気をつけなければいけないのが、味方同士、仲間同士、を強調することで、それが「群れる、同調する、空気を読む」ことになってはいけないということ。
味方の中でやるものだからこそ、そしていざという時は仲間のために動かなければいけないからこそ、自分だけの価値観や意見を持つ、突き抜けるような自主性と主体性がなければいけない。そうでないと、ただの同調人間になってしまいます。

味方を助ける勇気と、自分だけの意見を持ち、表現できる勇気。両方必要です。

勇気を持つには武器がいる。だからこそやはり、技術を徹底的に練習しなければいけない。
心とスキルが、ここで繋がってきます。


偉そうに長々と「サッカーの本質」について書きましたが、いずれは選手自身が、自分なりの「サッカーの本質」を見つけ、信じて持てるようになっていければいいと思ってます。指導者を超えていくことが、本当の卒業です。

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【最後に】

「スエルテってどういうクラブですか」「普段どんな練習をしてるんですか」
と質問されたとしたら、僕は
「言葉で説明するより、選手達が出すパスを見て想像して下さい」って答えたい。

一本のパスに込められるもの。
一本のパスから、味方同士の心の繋がりが伝わってくる
一本のパスから、その選手のパーソナリティーが想像できる

そんな味わい深いパスを出せるような選手がたくさんいる、そんなクラブにしていきたいと思っています。ドリブル軍団を装った、魅力的なパスを追求するクラブ。

彼らを、魅力的な大人にしていくための「パス」

文責 / 久保田大介